9日間4都市周遊の旅(前編)
台北の寧夏夜市
8月某日、昼12時過ぎ、日暮里駅からスカイライナーで成田空港へ向う。
座席は8割ほど埋まっていた。
この時期、海外旅行のピーク期のはずなのだけど、満席にはならないものなのね。
今回の旅行は、全行程でキャセイパシフィック航空を使った。
成田から台北までの便は、新しくて座席間隔も広く快適だ。
機内食の味はイマイチだけど、デザートのハーゲンダッツで帳消し。
18時過ぎに台北の桃園国際空港に到着。
台湾の入国カードは、ネットで事前に登録。上手く登録できたか心配だったが、何の問題もなく入国審査をパス。
空港のカウンターで悠遊カード(交通カード)を購入。MRTに乗る。
桃園空港のMRTは7~8分間隔で来るのに、ほぼ満席。数時間前に乗ったスカイライナーとは大違いだ。
約40分で台北駅に到着。
台北駅の地下街は広くて、何度も案内を確かめながらホテルに一番近い出口に辿り着いた。
地下街から地上まではエスカレータやエレベーターがなく、階段を重いスーツケースを持ち上げて登った。
ちょっと不便と思うのは、東京の地下街に慣れたためか?
ホテルでチェックインで、デポジット用のクレジットカードの提出要求があって、アメックスカードを出したら、VISAかMasterしか使えないと断られた。
JCBも使えないみたいだ。
普段は使わないMasterカードを、予備で持ってきて助かった。
夕飯のため、タクシーで寧夏夜市(ねいかろよいち)に向かう。
タクシーの運転手に「ネイカロ」と何度言っても通じない。発音が全然違うようだ。
スマホの地図を見せても、地名が日本語表示(漢字だけど)なので、理解してくれない。Google Mapで現在地から経路表示を見せて、やっと理解してもらえた。
夜市の入り口付近でとりあえず目に付いた屋台で猪の串焼き買って、食べ歩きしながら夜市の屋台を散策。
しかし、臭豆腐の匂いはキツイ。
この日の夕飯は、夜市の中程の店で牛肉麺と蒸餃子。もちろんビール付き。
旅の初日は、やっぱ疲れた。ホテルに戻ってすぐに爆睡。
台湾出国便の欠航のお知らせ
台北2日目。
早朝4時頃に地震で起こされた。かなり大きくて、おそらく震度4~5弱。
東日本大震災や幾多の地震に耐えた日本のホテルなら、そんなこともないのだろうけど、耐震性が不明な台湾のホテルだし、かなりビビった。
初めての台北。主だった観光地を回ってみた。
中正紀念堂は、蒋介石を称える施設。思った以上に雄大で驚いた。
中正紀念堂は国立の施設で、入場料も取らない。
つまり税金で維持している。蒋介石に対しては様々な評価があるが、現在の台湾人には評価されているというコトなのだろう。
龍山寺は、“台北最強”のパワースポットだそうだ。
適当に周ろうとしたら、オジサンに呼び止められた。
「タダだから入口で線香を貰ってこい」と言われて、そのとおりにすると、オジサンが何人かの日本人観光客を集め、参拝の作法を教えてくれた。
台湾総統府は物々しい雰囲気だ。
銃を持った警備員がそこかしこに立っていて、しかもよく見ると引き金に指をかけてい。
総統府の前の道路で、台北101が良く見えるスポットがあったので写真を撮ろうとしたら、立ち止まるなと警備員に注意され、ビビった。
夕方になって雨が降ってきたので、行こうと思っていた故宮博物院と士林夜市は止めて、ホテル近くの商業施設をまわった。
ホテル周辺には、テイクアウトの食べ物屋も沢山あって、どれも美味しそうだ。
何品か買い込んでホテルで食べることにした。
夕飯を食べながらメールをチェックすると、キャセイパシフィックから搭乗予定の便が欠航になったことを伝えるメールが入っていた。
この日は台風9号が台湾に接近していた。しかも台北直撃コース。
明日の出国便が心配で、朝から何度もネットで台風情報と飛行機の運航状況を確認していた。
予想はしていたものの、やはり萎える。
メールには、「代替便を探しているので、このまま連絡を待て」とあったし、ジタバタしてもどうしようもないので、気お取り直してマッサージに出かけた。
ホテル近くの適当なマッサージ店に入って、40分のフットマッサージをオーダー。
気持ちは良かったけど、台湾のフットマッサージはもっとハードだと思っていたので拍子抜けした。
隣でマッサージを受けていた日本人のオネーチャンは、時々悩ましい声を発していたが。
マッサージが終わっても、キャセイパシフィックから代替便の連絡がない。結局この日はそのまま就寝。
代替便を交渉
早朝4時頃にトイレに起きた時にメールを見たら、キャセイパシフィックから代替便を知らせるメールが入っていた。
だが、キャセイパシフィックからの代替便案は、いろんな意味で受け入れない提案だった。
もう自分で代替案を作って交渉するしかないと、そのままスマホにがぶりつきながら、代替便の案を4案まで考え、ホテルのレターに書き込んでおいた。
朝8時(日本時間の9時)、キャセイパシフィックの日本のコールセンターが受付開始されるのを待って、国際電話でオペレータと交渉を開始。
第1案はダメモト案だったので受け入れられなかったものの、第2案で検討してもらえることで一旦電話を切る。
15分後にコールバックがあって、第2案の座席が確保できたとのこと。
しかも本来ルールなら変更手数料が発生する変更も、状況を配慮してくれて手数料なしで変更してくれた。
だが交渉が成立した第2案は、エントリーしていたダナン国際マラソンには間に合わない案だ。
この旅行のメインイベントだったが、諦めるしかない。
キャセイパシフィックだけでなく、ワンワールドグループ全体を見ても、ベトナムのダナンへの便が少な過ぎて、その日の運航状況を考慮すると、翌日の受付に間に合うプランを作ることができなかった。
朝食を食べ、予約していたダナンのホテルへ遅延のメールを入れると、もうチャックアウトの時間。
とりあえずチェックアウトし、そのままホテルのロビーに残って、この日の宿を探す。
日系のホテルに空き部屋かったので、少し高めだったが予約。
この日は朝4時からテンション全開で代替プランを作っていたので、さすがに疲れた。
夜はホテルでビールを1本だけ飲んで早寝。
激動の香港
この日は台北から香港への移動日。予定の便が台風で欠航になったので、一日遅れの移動日になった。
朝10時にMRTで桃園国際空港へ向う。
MRTで隣に座ったオネーチャンは、前日に帰国予定だったけど欠航になって帰れず、今日の便もまだ確定できていないと嘆いていた。
搭乗時間の10分前に搭乗ゲートに向かったが、そこは別の航空会社の便が搭乗待ち状態。
搭乗ゲートが変わったのかもと、近くの案内版を確認したけど変わっていない。
不安のままゲートの付近にいると、ゲートの上の案内版に、搭乗予定の便の搭乗ゲート変更の案内がやっと表示された。
チケットに書かれている搭乗時間は、とっくに過ぎている。
慌てて案内されたゲートに向かったが、搭乗が始まる様子が全然ない。
結局、予定よりも1時間遅れで搭乗が始まった。
台風の影響で便が乱れていたのは理解できるが、案内が少なすぎる。
台北の桃園国際空港から香港国際空港までは約2時間のフライト。
入国カードを記入して機内食を頂くと、もう到着だ。
香港の入国審査を済ませ、セキュリティ区画を出ると、大勢の人がいた。
初めはホテルの送迎や、有名人の出待ちかと思ったが、数か多過ぎる。
そして、セキュリティエリアを出てくる一般客に向かって何か叫んでいる。
中国の干渉に反対する香港の若者達の、空港占拠に遭遇した。日本でも大きく報じられた世界的な事件だ。
怒涛のようなシュプレヒコールと、チラシを渡そうと大勢の若者が鉄柵から身を乗り出している。
鉄柵で旅行者の通路は確保され、警備員もいたけど、香港の若者達の熱量に思わず怯んでしまう。
この翌日、デモに参加していた女性が右目を撃たれる事件が起き、空港が閉鎖される事態になった。
それを思うと、この日はまだまだ整然とした方だったかもしれない。
28年ぶりの香港
騒然とした香港国際空港も建物を出ると、外は拍子抜けするほど平穏だった。
通路で見つけたATMでキャッシングをし、スカイトレインへ乗車。
スカイトレインで九龍駅のSky100(天際100)に向かう。
Sky100の展望台へ到着したのは、18時過ぎ。夕暮れの香港の景色をと思ったけど、残念ながら小雨が降っていて眺望はイマイチ。
それでも19時前には雨も上がって、徐々に遠方の夜景も見えてきた。
20時前、シンフォニー・オブ・ライツ(レーザーショー)の時間に合わせて尖沙咀プロムナードの展望台へ移動。
尖沙咀プロムナードからの夜景は、これぞ香港の夜景って感じの夜景だ。
28年ぶりに香港の夜景を堪能した。
シンフォニー・オブ・ライツの後、ビクトリア湾沿いの歩道を歩いて、ブルースリー像へ向う。
オイラは、リアルタイムでブルースリーに熱狂した世代。絶対に行きたいと思っていた。
ブルースリー像の周りには沢山の観光客がいて、ブルースリーと同じポーズで記念写真を撮っていた。当然オイラも。
尖沙咀駅周辺は、「ロレックス」とか「ハッパ」とか言いながら声をかけてくるニーチャンが沢山いて、治安的はイマイチ。
MRTで尖沙咀駅から旺角駅に移動し、女人街に向う。
女人街は、狭い路地に沢山の露店が並んでいて、そのほとんどが偽物のブランド品とお土産屋。
ブランド品にもお土産にも興味のないオイラは、中盤に差し掛かるころには飽きてしまう。
パッポンのナイトマーケット方が、バラエティにも富んでるし怪しいしい卑猥だし、個人的には好きだ。
女人街を早々に切り上げ、近くのレストラン遅い夕飯を取った後、タクシーで香港空港に戻る。
空港に着いたのは深夜1時近く。
入国フロアには深夜にもかかわらず多くの若者が、座り込みを続けていた。
この時点では、まだ出国フロアは平穏で、何事もなく出国ゲートを抜けることができた。
続く:後編「ダナン・ホイアン」
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